大阪地方裁判所 昭和30年(ワ)2573号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔事実と判断〕原告は「原告は大阪弁護士会所属弁護士である。ところで、大阪市西区九条北通一丁目四番地の四、宅地一四三坪五合と右地上に存する家屋五棟はもと被告の所有であつたが、右各物件につき根抵当権設定登記と代物弁済予約に基く所有権移転請求権保全仮登記をしていた訴外株式会社興紀相互銀行からその権利を譲り受けた原告は被告外一名を相手どつて右各物件の所有権取得登記と、訴外森実良に売渡した一棟の家屋を除いた四棟の家屋の明渡請求訴訟を大阪地裁に提起し、昭和二八年(ワ)第一三九八号事件として審理されることになつた。同訴訟で被告は、右各物件は被告と訴外銀行間の係争物であるところ原告は被告の連帯債務者である訴外森実良の委任を受けて訴外銀行との交渉に当りながら係争物である各物件を買受取得したものであるとして弁護士法第二八条違反であると争い、被告は訴訟代理人により訴訟を追行していたが、被告の準備書面には次のような言辞が記載されていた。
「棚から餠が落下せる幸運児なりと想込み、独り此巨額の利得を占め得べしと前主金融業者の為し能わざる芸当を敢て演じ前主の無欲を頬笑み居られるものかと推察致されます」
「被告が原告に約二十万円を交付したるものにして結果から見れば騙取されたるに等し……」(以上昭和二八年七月一三日付準備書面)
「『どん欲の金融業者すら敬遠すること』を主張せらるるに於ては弁護士法上反省方を進言す敢て之を主張するなれば弁護士法第二八条同第七七条の責任を負担せざるべからず)(同年七月二四日付書備書面)「被告に対し所有権を取得したとて強迫的態度にて即金百六十万円月賦にて三百万円然らざれば即時明渡すべしと吹き掛けたるも其目的を達成し能わず『毒食はゞ皿まで』と弁護士たる天職を無視し云々、常に独善独創論を案出云々」
「かゝる筋書は町の与太者すら敬遠する処ならん云々」
そしてさらに被告は、原告の行為は弁護士法第二八条に該当するものとして大阪弁護士会に申告して懲戒処分を求めたが、同弁護士会の綱紀委員会は調査の上昭和三〇年五月一二日原告に対し不問処分の決議をした。
被告準備書面の前記文言は故意に事実を曲げた暴言であるうえ、事件の争点にも関係なく、原告の人格と品位を傷付けたものであり、かゝる準備書面を裁判所に提出し、あるいは同様の事実を申告して、弁護士会に原告の懲戒を求めた被告の行為は、原告の名誉と信用を失墜せしめるもので、不法行為を構成する」と主張し、精神的苦痛を蒙つたことに対し五十万円の損害賠償を求めて本訴を提起したものである。
被告は「原告が前記各物件を譲り受けた行為は弁護法第二八条に違反する行為であつた。大阪弁護士会綱紀委員会が原告を不問処分としたのは、原告が前記昭和二八年(ワ)第一三八九号事件を取り下げて、改めて提訴した昭和二九年(ワ)第五七二六号事件が当事者間で示談成立したため、被告において大阪弁護士会に対する懲戒の申立を取り下げたからに外ならない、原告の弁護士法第二八条違反行為のあつたことは明白だから、被告がこれを攻撃し、あるいは大阪弁護士会に申告した行為は不法行為とはならない。」と争つた。
一、裁判所は、まず弁護士法第二八条違反の有無について、証拠に基づき「被告は訴外森実良の女婿に当る者であるが、同訴外人は被告所有の本件宅地上の五棟の家屋の内一棟で待合業を営み、被告は他の四棟で別個に待合業を営んでいる。ところで、被告は必要あつて、本件土地家屋を担保として訴外株式会社興紀銀行から金融を受け、本件各物件につき根抵当権を設定したうえ、なお不履行の際は担保物を以て代為弁済する旨の特約をなし、所有権移転登記請求権保全仮登記をなし、さらに別途無尽契約を締結して共にその担保としていたが、被告は弁済を怠つたので、訴外銀行は約旨に基き本件各物件を代為弁済として処分する旨通知して来た。被告は金策に努めたが果せず、訴外銀行に対し、処分するなら、連帯保証人である訴外福井某に売却されたいと申入れた。ところがこれを聞いた訴外森実良は、訴外福井の人柄から、本件各物件が同人の所有になればたちまち明渡を強要されることを恐れ、かねて知合いの原告に、本件物件を買い受けて自分が待合を営む家屋一棟を月賦で売つてくれと懇願した。そこで原告は事情を調査したうえ、買受利益があると判断して、訴外銀行からこれを買い受け、訴外森の占拠する家屋一棟と敷地を共に代金二百万円、但し十万円づゝ二十ケ月払の約で同人に売渡し、次でその頃原告の買受事実を知つて買い戻しを申し込んで来た被告に対して残余の物件を代金二百万円、十万円づゝ二十ケ月払の約で売り渡した。しかるに被告が二回にわたり十九万四千百五十円しか支払わないので、原告から被告に対して前訴が提起されたものである。」との事実を認定したうえ、次のように判示した。
「右認定事実によると原告は訴外森から、本件宅地と建物を訴外銀行から買受け同人が占拠使用する部分を転売して貰い度い旨の懇請を受けその後依頼に基いて銀行から之を買受けて訴外人に売却してその後原告に対し買戻を求めて来た被告にも転売する契約を結んだという丈の関係であつて被告の主張する様な被告方の依頼を受けて被告乃至森と訴外銀行間の代物弁済の阻止等貸借関係調整の交渉に当つたものではなく訴外森の依頼により既に銀行が代物弁済として処理済の担保物件を第三者として買受交渉をなしたに過ぎず偶々原告は弁護士であつたけれどもその資格を前提とする所謂事件依頼ではなく買受けて転売することの依頼を実行したというに過ぎないからその間利得したことについて弁護士として品位上の見地からの批判はあるとしても弁護士法上斯かる弁護士の利得行為を禁止する法条がない。而して被告の主張する弁護士法第二八条に云う係争権利とは訴訟の目的となり現に係争中の権利のみを指称すると解するのを相当とし当事者間に広く如何なる形によつても苟も争の存在し又は争となる惧のある権利一切を包含するものと解すべきではないから本件原告の行為を目して弁護士法第二八条に牴触するという被告の抗弁は当らない。」
二、次に被告の準備書面による侮辱的言辞が被告の不法行為を構成するかどうかの点につき次のように判示した。なお、右言辞は、原告主張のとおりであること、当事者間に争いがない。
「(前略)原告の抽出した字句は一見概ね妥当を欠くけれども言う迄もなく字句は単にその一章一節を捉えて当、不当を論ずるのは不適当でその全体について判断する外なく更に偶々原告本人が弁護士であるからその主観よりして忍び難いと感じたとしても若し原告が訴訟代理人であつたとしたなら果して同一の侮辱感を受けたか疑なきを得ずそのうちの一、二は尠くとも看過せられたことであろうし更にその受ける苦痛の程度に至つては各人によつて軽重がある筈である。
従て原告の掲げた字句の使用が悉く原告の信用と名誉を失墜させ原告に苦痛を与えた不法行為を構成するものとは断じ難いが仮にその全部が不当なもので原告に対し賠償を考慮すべきものであるとしても右攻撃をなした者が本件の様に訴訟代理人たる弁護士である場合当該弁護士を委任した本人が直接その責に任ずべきものであろうか。
弁護士法はその第二条に於て弁護士は常に深い教養の保持と高い品性の陶やに努め法令及び法律事務に精通することを求めその資格についても最重な制約を設け何人でも容易にその地位を獲得し得るものではない。従つて社会的にも高き地位を有し法律事務の専問家として権威あるものとして遇されているので事件依頼者が弁護士の作成する書面に一々容喙指示する如きは絶無ではないとしても恐らくは稀であろう。従つて訴訟代理人たる弁護士の名に於て作成した書面は弁護士がその独自の知識と見解に基きその責任に於て記載したものと推定すべきであつて特に依頼者が弁護士に指示して作成させた証拠の存在しない限りその責を依頼者本人に転嫁することは当を得ない。従つて本件文章が被告の意思と指示に基いて作成されたことについて之を認むべき立証のない以上被告の責任を追及する原告の主張部分は失当という外ない。」
三、最後に、裁判所は、前に認定判示したように、原告の行為は弁護士法第二八条に該当しないものであるのに、被告が大阪弁護士会に対して弁護士法第二八条違反を理由に原告の懲戒を求めて申告した点については、不法行為の責を免かれないとしたうえ、その責任の程度につき次のように判断した。
「(前略)右責任の程度に付考えるに原告が之により相当な衝撃を受けたであろうこと、事情を知らぬ同弁護士会内の同僚や一般に対し綱紀委問会の審議の対象とせられた一事によつて或程度の信用と名誉を失墜し苦痛を受けたであろうことは自ら推認するに難くないけれども他面その主張から弁護士として多年の経験を有することが認められるから原告は前段認定の通り申告せられた事実を以てしては弁護士法第二八条に何等牴触するものでないことを当初から知つていた筈であり従つてその受けた衝撃も必ずしも大ならず信用と名誉の失墜防止の為にも或程度の制動防禦はできた筈である。
更に銀行に於ける調書で訴外森実良や被告等が訴外銀行に対し利息の支払や無尽の掛込も出来ないため担保物件を処分された窮状を知つた筈であるのにその担保流れの不動産を訴外銀行から金二百四十五万円で買受けたに過ぎないのに仮令月金十万円の分割で且訴外森の窮状を救う意図があつたとは言え幾許もなく訴外森と被告に夫々買受元金に近い各金二百万円合計金四百万円で買戻さしめんとしたことが被告の本件弁護士会に対する申告とその代理人の不穏当な文字となつてはね返つて来たともいえるのであつて証人山中治三郎の証言によつても大阪弁護士会の綱紀委問会は一応その品位の点を問題としたことが窮えるので被告が弁護士法第二八条に違反すると思料申告したのは尠くとも故意に第二八条に該当しない事項を以て懲戒を求めんとしたのではなく過失によりその該当しない事項を該当するとして申告したものと認むべく右被告の過失を誘発した適正でない利潤追求も原告の過失というべきであろう。
よつて以上の各事情や当事者間に争いのない原告の経歴、地位等あれこれ斟酌考慮し被告が原告の蒙つた精神的苦痛に対し支払うべき賠償額は金五万円を相当と認め(後略)る。」